2009/8/8 更新

戦争指導史(2001.07.04)

日米開戦の経緯について・・・・

 日露戦争(1904~5)後、南満州を独自経営し、他国へ市場開放しない日本に
米国は反発を始めた。海軍は、米国の対日干渉を予期し、米国を仮想敵国に選ぶ
一方、陸軍は、日露戦の復讐戦を恐れ、露国を仮想敵国に選ぶという、日本の政治
戦略不一致のまま、陸軍は、大陸への権益を拡大し、満州事変(1931)、支那事変
(日中戦争 1937.7.7)に突入した。
 独善的な日本の中国政策と、南太平洋への海軍の権益拡大に、更に反発と脅威を
深める米国は、遂に望むべくもない戦争への道をたどっていった。

1941年12月8日 真珠湾攻撃 「パール・ハーバー」

「世界史を動かす舞台は、古代の地中海から大西洋に移っていたが、
 今や太平洋に移っていくだろう。」  1903年 ルーズベルト大統領の演説

アメリカの太平洋戦略

・米国が領有する、フィリピン、グアム、ハワイと米本土を結ぶ、太平洋ラインの確保
・アジアの市場確保
・そのための海軍の増強(海主陸従)
・日本は、有力な仮想敵国であり、戦争計画を作成(オレンジ・プラン)
・戦略的攻勢を基本的原則とする

 

日露戦争後の政治の腐敗と国民の政治不信と、当然のことながら日本の将来を託せる
リーダー不在のなかで、統一的戦略なき外交を展開し、米英をはじめとする
列強の信頼をなくした。解決の糸口が見つからないと、軍部にその責任を押しつけ
軍人による政権にすべてを任せる。そして、戦争に負け、すべての責任を軍人のせいにする。
本当に、日本の事を考えているのは、誰だろうか。