2009/8/8 更新

 

           「日本人の国防観」

   目  次

はじめに
1 日本人の民族性

2 元寇に見る日本人の国防意識

3 特攻隊の魂

4 現代日本人の国防観
おわりに  


はじめに

 内閣総理大臣の靖国神杜参拝が問題になっている。そもそも国家に忠誠を尽くし、その身をなげうって亡くなっていった英霊達に対しなんとも失礼な話である。将来の日本のためを想い身を投じていった彼らが聞いたら何と思うであろうか。現代の日本人の国防意識はどうなっているのか疑いたくなる話題である。このような時勢に鑑み、以下、日本人の国防観について、その地勢学的見地からの民族性をふまえ、過去の国家的危機であった元寇及び太平洋戦争終結間際における特攻隊の残した遺書等から現代日本人の国防観について、いったい日本人に国防観はあるのかといった観点から考察していきたい。

1 日本人の民族性

 (1) 農耕民族的特質

   日本は古来から稲作中心の農耕民族である。その基本単位は村であり、人々はお互い助け合って生活をしてきた。狩猟民族とは違い、敵は自然環境であり、決して攻め込んでくる人間ではなかった。従って、人間を敵として扱う傾向よりも、人間を共同生活のための協力者として考える傾向が強く、義理、人情を尊び、和といった協調性そのものを重視した。

   四季という一年単位での気侯変化を基本として農耕を行うことから、自然変化に敏感な性格の傍ら、台風で一度に稲を台無しにしてしまうことを受容せざるを得ない環境から、自然という大きな存在に対するある種の畏怖の念と自然を受け入れる受容的・忍従的性格が備わった。また、戦闘が基本である狩猟民族とは違い、土地にしがみつき、攻撃に対しては守勢的で、戦闘を行うものは基本的には農民であったが、集団が大きくなると、兵士と農民が分離され、専門の戦闘員が生まれた。

 (2) 島国的体質

   日本は、四面を海に囲まれており、国境という概念はない。また、民族的にも単一な民族であり、古来から外的に進入、侵路された経験はない。このため、自分の領土に関して絶対的、閉鎖的であり、自己の生活圏を中心とした独善的な世界観を有している。侵略に関しても楽観的であり、直接戦闘を好まず、危機感が乏しい。島としては一つの民族的集団を形成するが、小さな部族、村、国等を基本単位とする小部族対立を基本とし、日本全体が一つにまとまったのは明治以降である。従って、国家意識が希薄であり、国防という概念が根付きにくい。

 (3) 宗教的体質

   国を支配するような単一の宗教は日本には存在しない。基本的に根付いているものは、農耕民族的特質からくる自然崇拝、八百万の神に象徴される神道であるが、国家の施策も反映され、大陸から伝わった仏教やキリスト教も広く信仰されている。民族として、ある時ある時のブームに乗りやすく、宗教も、その時その時のブームに乗って広く普及してきた。

2 元寇に見る日本人の国防意識

  過去において異民族からの侵略を受けたことのない日本であるが、鎌倉時代にその危機はあった。平和が常態であるという認識が大きく覆されようとした出来事である。蒙古襲来の危機にあたり、全国民が国家の危機を感じ、強烈な国防意識が生まれた事件であった。折しも今年は、元寇720年目に当たり、NHKでは「北条時宗」を放映し、蒙古襲来の事実を伝えている。

 (1) 鎌倉武士の国防観

   現在使われている小学校の教科書にこんな記述がある。

  「元寇で、武士たちが勇ましく戦ったのは、幕府からの恩賞をあてにしていたからでした。竹崎李長は、自分が手柄を立てた記念に絵巻物を描かせました。今も残る蒙古襲来絵詞です。」

   本当にそうであろうか。文永・弘安の役をはるばる鎌倉から国難のために九州に赴き、身を挺して戦った鎌倉武士の心意気は、恩賞をあてにして戦った程度のものではなかったはずである。

   日本と同じように蒙古の侵略を受け見事撃退したベトナムの教科書には、その大英雄である陳国峻を讃え以下のような記述がある。

 「十三世紀の蒙古・元侵略軍に対する三回の勝利は、我が国の独立を守っただけでなく、東南アジア諾国への侵略も阻止したのである。この勝利は、小民族でも団結して戦うとき、いかに巨大な外国侵略軍も粉砕できることを証明したのである。」

   戦後の日本は戦争と言うだけですべてが悪いものと教育され、鎌倉武士のような純粋に国民のために戦ったものたちまでもが、恩賞のためと卑下されている。危機感を失って、近隣諾国に謝罪を続けている現代の日本には、成熟した国家としての意識が欠けているのではないだろうか。少なくとも明治の頃はまだ健全であった。明治時代「元寇」と題する軍歌が声高らかに歌われていた。

   「四百余洲を挙る十万余騎の敵 国難ここに見る弘安四年夏の頃 なんぞ怖れんわれに鎌倉男子あり 正義武断の名一喝して世に示す」

   国家のために命を捧げ戦った英雄たちを想う気持ちのない国民はどこか異常な国民である。正しい歴史の事実を伝え教えるべきである。

3 特攻隊の魂

  特攻隊に自ら志願し、または選ばれて死んでいった者たち全員が、崇高な国防観と使命感に燃えていたとは言い難い。しかし、彼らは、軍隊に頭の隅々まで洗脳されていたから簡単に死ねた訳ではなく、自らが死というものに対し現実に迫る恐怖の中で真剣に苦しみ、悩み考え抜いた末に到達した自分自身の論理があったはずである。目前にある確実な「死」を見つめながら、生きるということ、日本の将来、そして自分の死後に残される両親や兄弟、妻や子供達のことを想い書きつづられた遺書や手紙の中に、その痛いほどの想いが綴られている。そこには、後生に自分を評価してもらいたいとか英雄になりたいとかいった意識はなく、自分の祖国日本がこれからも美しい国であって欲しいという願う純粋な気持ちであり、残されていく家族に対する溢れんばかりの愛情である。「自分たちの死によって少しでも、日本が戦争に有利になれるなら…、少しでも家族が敵の攻撃から逃れられるなら・・・」といった祖国愛であり家族愛がそこには溢れている。

 彼らの直筆の遺書の中には自分たちの死の意味を必死で見つけだそうとしている軌跡が表現されている。彼らにとっては、その段階がある意味で断末魔の苦しみであり、それを越えることが一つの試練でもあったのではないだろうか。敗戦直前の状況の中で、確実に迫りくる死という任務を帯び、そしてそれを受け入れ、祖国に対する責任感と使命感の中で自分の命と愛する人々との別れを一生懸命見つめて、その意味を見つけていった若者達に嘘はないはずである。彼らの死は決して犬死ではない。彼らこそ我々に本当の生きる意味、国家の意味を教えてくれる者たちなのである。

4 現代日本人の国防観

  戦後の歪んだ民主主義教育の中で、鎌倉武士の心意気や特攻隊の魂は決して敬われることなく「軽視」されてきたのが現実である。アメリカから押しつけられた戦後民主主義の中であまりにも国に対する忠誠心や国家観をなくし、個人の権利や利益を主張するという風潮が強くなりすぎている。世論調査結果でも、最近、やや危機感や国家意識に気づき始めた者が増えたとはいえ、まだまだ我が国の防衛について正しい認識と健全な安全保障概念を持った若者が少ないのが現実である。敗戦を喫した第二次世界大戦ですらアメリカやソ連から侵略されることなく、ある意味で我が国の独立と平和を保ってきた国民であるがゆえに国防意識が希薄になるのは仕方ないことではあるが、せめて国のために命を捧げて死んでいった者達にもう少し敬意を持ってもらいたいものである。

  国歌や国旗を愛することが出来ない日本、戦争の英霊達を慰霊することも出来ない日本は、おかしな国であると気づくべきである。日本の常識は世界の非常識であると平和ボケした日本人はそろそろ気づいてもよいのではないだろうか。

おわりに

 以上、日本人の民族性から元寇、特攻隊についてその国防意識を分析し現代日本人の国防観について述べてきた。我が国は、地理的に海を城壁として守られてきた国であり、国防ということについては、非常にのんきな国民である。危機感がないと言っていいほど楽観的でさえあるように思える。しかし、ひとたび事が起これば、ブームに乗りやすく、いつの間にか一つに固まり、その団結心たるや異常なほどである。鎌倉武士にしても特攻隊員達にしても、身を挺して守ってくれたのは日本という国家であり、その根底にあるものは、家族愛であり、そしてそこから演繹的に発展する祖国愛であった。

 現在の我が国は表面的に国防観が全く無いように感じさせる事ばかりであるが、日本人として持っている国防観は本来は皆素晴らしいものがあると考える。平和ボケした日本に早く気づき、英霊に心からの慰霊を捧げることが当たり前の姿となるような日本に早くなってもらいたいものである

 

注: 引用文献

   名越二荒之助 「日露戦争前に描かれた蒙古襲来の大パノラマ画」、翼NO65
   工藤雪枝 「特攻隊の英霊と現代日本」、翼NO65